4.ブロードエーカーシティー模型の制作(1934秋~1935年)


 1934年秋、ブロードエーカーシティー模型用の家などの小さな模型が作られていた。Falling Water の施主となる Edgar Kaufman Sr. がタリアセンを訪れ、Mr.Wright は都市の分散化の模型のアイデアについて彼と議論して、Kaufmanは資金の提供を申し出た。このことによってフェロシップのアリゾナ行きが可能になった。

 1934~1935の冬は厳しかった。1935年1月 フェロシップ25人はアリゾナのChandlerに行き、Mr.Wright の依頼に応じ San Marco in Desert (大恐慌で中断した)の施主  Dr.Chandler が提供した Hacienda(元ポロの馬小屋を改良した果樹園の労働者用の宿舎だった。)の内庭で BroadacreCity の模型が製作された。

タリアセンヒルサイドスタジオの建設

タリアセンでの農作業 1936

ブロードエーカーシティー模型の公開(1935年)

  

New York Rockefeller Center のNational Alliance of Arts and Industry Expositionで初めて公開される。1935春

Pittsburg のKaufmann Department Storeで展示。

Washington D.C.の Corcoran Galleryで 政府、上院議員、米国、欧州の技術者、計画家などの招待者にのみ公開された。

 展示巡回は米国内で1939年まで続き、約7万~8万の人々が見た。 後に、模型はヨーロッパ( イタリア、スイス、フランス、ドイツ、オランダ)とロスアンゼルスを1950年から1954年にかけて巡回した。ウィスコンシンのタリアセンに模型が帰るにあたって、ライトは模型をヒルサイドスタジオに設置して展示し、1959年の死に至るまで改良と変更を加え続けた。