社会の背景3

ウィスコンシン州のラディカル(革新)の政治2

フィル・ラフォレット(1897–1965)

デーン郡地方検事1925-27

ウィスコンシン州知事1931-33、1935-39



1926年ライトは経済的に危機状態となり破産した。このときライトを救ったのは施主のDarwin Martin、Avery Coonley夫人、実業家のBen Page、法律家のPhilip La Follette やライトの友人たちだった。彼らはすぐ後にウィスコンシン州の知事になるPhilip La Folletteを秘書役にしてライトの仕事を会社にしたWright Inc.を立ち上げて銀行からタリアセンを取り戻し、1928年にライトらはようやくタリアセンに戻ることができた。 

1925年、「高齢のボブ」LaFolletteは亡くなった。

彼の長男、「ヤングボブ」は、30歳の時ワシントンでウィスコンシン州の上院議員になった。

2番目の息子フィルは彼の職-(そしてこれは非常に重要です。)-フランク・ロイド・ライト有限会社のセクレタリーを辞任した後にウィスコンシン州の知事の地位を引き継いだ。

1934年に、2人のLa Folletteは、Progressive党を組織するために父が徹底的に最後まで巧みに捻じ曲げた共和党から離れた。そしてその秋の選挙で「ヤングボブ」とフィルの両方は、Progressive党のチケットで再選された。両者はニュー・ディール政策でルーズベルトと密接に働いたけれども、彼らの父が初めからそうだったように、強く第二次世界大戦へのアメリカの準備に反対した。

 Progressive党の綱領 1934 ウィスコンシン州

・Progressive党は、男女が、彼らの家、彼らの農場、および彼らの働く場所を持つ権利を支持し、企業や不在者の権利に対して反対する。

・エネルギー供給、ごみ処理、通信(ラジオ、電話、郵便)、公衆と大量の交通、および流通貨幣を含む公共の必要のすべての事業の公的所有を支持する。

・Progressive党は地方の金融業に対する国の管理に賛成する。

・完全雇用、完全な社会保障、無料の教育と医療サービスに賛成する。

・食物の共同販売と、その配布に対する投機と不当利益行為の禁止に賛成する。

・労働者の自ら選ぶ組織化の権利を支持する。

・自由な言論と思想を支持する。

・すべての社会的不正に対する妨害のない調査を支持する。



 

ライトの「the Living City」の図表にある THE NEW FREEDOM FOR LIVING IN AMERICA(ブロードエーカーシティーのマニフェスト)はこのプログレッシブ党の綱領が元になっていると思われる。


参考、引用文献  ライオネル・マーチ Lionel March  BroadacreCity:Intellectual Sources  Frank Lloyd Wright  the Phoenix Papers  VolumeⅠ Broadacre City p.80-117 

写真:ウィスコンシン歴史協会サイト