GHQと戦後日本の占領政策
•大西洋憲章(1941) アメリカのフランクリン・ルーズベルト大統領とイギリスのチャーチル首相による全8条からなる大西洋憲章では、領土不拡大・領土不変更・民族自決・貿易の自由と拡大・労働条件と社会保障の改善・海洋の自由・軍備縮小・平和機構の再建が謳われていた。
•アトランティック・シティー会議(1944)IPR (太平洋問題調査会)で戦後日本構想が練られた。
•ポツダム宣言(1945) 日本の降伏条件として軍国主義の除去・領土の占領・領土の制限(日本の領土を本州・北海道・四国・九州および周辺の諸小島とすること)・日本軍の武装解除・戦争犯罪人の厳罰と民主主義の確立・日本の無条件降伏などが決められた。
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・マッカーサーの占領政策
連合軍総司令部(GHQ)・総司令官マッカーサーは日本の非軍国化・民主化に取り組み、1945年10月には男女同権・労働者の団結権の保障・教育の自由化・専制の廃止・経済の民主化の五大改革、11月には財閥解体、12月には農地改革の指令を出して民主的改革を進めた。
農民の土地所有、婦人参政権はマッカーサーの意向であった。
・GHQとニューディーラー
GHQ内にはニューディーラーと呼ばれるニューディール政策の出身者が多く参加していた。占領への参画は自らの研究成果を実地に検証するまたとない機会と受け止められた。
エドワード・マーティン 財閥解体
ケネス・R・ダイク准将 人権、報道の自由
チャールズ・L・ケーディス大佐 公職追放、憲法改正
エドワード・ウェルシュ 反トラスト・カルテル
セオドア・コーエン 労働問題
・農地改革 アンドリュー・グラダンツェフ、ラデジンスキーが担当。封建的な日本の農村と土地制度に対する、1930年代のアメリカにおける農業危機に復活の兆しを見せた「民主主義の橋頭堡としてのジェファーソン型自作農主義」という伝統理念がその底流にある。
小作料が収穫物の半分を占める地主制のもとにある小作人の地位向上、自作農創設は戦前の農林官僚の悲願でもあった。(農林省 和田博雄)
この結果、アメリカ南部での農村改革や、ニューディールの実践者がアメリカで創り出した少数の自作農とは比較にならない規模の安定的社会層が出来、現在の日本の形が創られた。
GHQ要員の多くは当時30から40歳台であり、青年期に米本国でニューディール改革の洗礼を受け、大戦中はルーズベルト大統領の提唱した「4つの自由 (言論及び表現の自由・信仰の自由・欠乏からの自由・恐怖からの自由) 」などの理想に燃えて従軍した世代に属していた。
改革を進める民政局(ニューディール派)とそれに反対するチャールズ・ウィロピー准将が率いるG2(参謀第2部、諜報や検閲を担当した)間の対立があり、初期にはニューディール派が優勢で占領改革が進められたが、1948春以降ウィロピー派が主流になった。
概して初期に来ていた人たちはアメリカのもっともすぐれた人々だった 渡辺修治さんに聞いた話
・日本国憲法公布(1946)
理想主義 平和主義
幣原 喜重郎
森戸 辰男 生存権
鈴木義男
ベアテ・シロタ
・遠藤新 GHQルーミスの進言を得て文部省の新制中学の建築設計手引書を改定した
(1948)
・朝鮮戦争(1950~1953) 特需景気
サンフランシスコ講和条約(1951)
日米安全保障条約(1960)