社会の背景 3

 ニューディール政策


フランクリン・ルーズベルト(1882-1945)

大統領(1933 – 1945  4期) 民主党


「炉辺談話 Fireside chats」

フランクリン・ルーズベルト大統領は当時の最新メディアであるラジオを通じて国民との対話を重視した。毎週のラジオ演説は「Fireside chats」と呼ばれた。

 

"I want to talk for a few minutes with the people of the United States." 


1945 ヤルタ会議

チャーチル, ルーズベルト, スターリン


世界恐慌に有効的な対策を取れないまま大統領職を退いた前任のハーバート・フーヴァーに対し、 ルーズベルトは 「ニューディール政策」と呼ばれる、政府による経済への介入(積極的な経済政策)を行なった。団体交渉権保障などによる労働者の地位向上・テネシー川流域開発公社 (TVA) などの大規模公共事業による失業者対策・社会保障の充実などの政策を行って克服を図った。

 これらの政策によって1930年代中ごろには経済に回復の兆しが現れたが、いち早く均衡財政へ回帰しようとする動きから、政策を後退させたために再び危機的な状況へ陥った。(ルーズベルト恐慌1937)

1941年の第二次世界大戦参戦による軍需の増大によってアメリカ経済は回復し、失業者も激減した。近年では太平洋戦争が無くても成功したのではないかという意見と、最初から太平洋戦争の開戦が無ければ成功しえない政策であったという意見(ミルトン・フリードマンら)が対立し、議論の対象になっている。ただし前政権における清算主義金融政策からの脱却、管理通貨制度の確立(大統領令6102号により、市民に金貨、金塊の保有禁止を命令した)は、現在では大方の立場から有効な政策であったと認められている。

それまでアメリカの歴代政権が取っていた古典的な自由主義的経済政策(政府は市場には介入せず、経済政策も最低限なものにとどめる)

から、政府がある程度経済へ関与する社会民主主義的な政策へと転換したものであり、第二次世界大戦後の資本主義国の経済政策に大きな影響を与えた。世界で初めてケインズの理論を取り入れたと言われる。

2011にフーバー前大統領の回顧録が刊行された。ルーズベルト大統領は日米太平洋戦争の開戦を画策したこと及びその後のソ連、中国の共産党の台頭を許したことに責任があるとされ評価が揺れている。