社会の背景 4
プログレッシブ党の衰退
1938年 フィル・ラフォレットは州知事に再選されなかった。その原因には支持母体の北欧系農民とドイツ、スイス系農民、ミルウォーキーを中心都市とした工業都市の組織労働者の対立と離反があったといわれている。
その春、ルーズベルトが大統領の3期目に出馬しないと考え、ラフォレットは全国革新党を立ち上げ、第3の政党を作ろうとしたが、ルーズベルトが慣習を破り3期目に出て全国革新党の計画が実現することはなかった。
フィル・ラフォレットはそれ以後公職に着こうとしなかった。フィル・ラフォレットは、父と同じく戦争に強く反対したが、いざ戦争が始まると陸軍に志願した。マッカーサーのスタッフ(広報担当官)となり終戦直前まで働いた。 1942.10-45.6
マッカーサーの共和党右派の大統領候補擁立運動の中心メンバーだった。1948
ロバート・ラフォレット・ジュニア
父の跡を継いでウィスコンシン州上院議員(1925-1946)
労働組合 ラフォレット委員会 アメリカ孤立主義
1934 フィル・ラフォレットとともにプログレッシブ党を立ち上げる。
1946 プログレッシブ党が解散した後、共和党に戻るも上院議員予備選挙で僅差でジョセフ・マッカーシーに敗れた。
ダグラス・マッカーサー(1980-1964)
アメリカ陸軍元帥、日本の占領政策において連合国軍最高司令官、朝鮮戦争の国連軍司令官。 祖父は第4代ウィスコンシン州知事であった。(副知事であった1856~1858の間、4日だけ州知事を務め、その後ミルウォーキーで判事を務めている。1857~1869)
マッカーサーは、朝鮮戦争の戦線拡大を図ろうとしてGHQ司令官を解任され本国に召還された際、解任の正当性に判断を下す上院軍事委員会で、占領下のドイツと日本を比較して、(占領下の政策について、日本のそれをそのままコピーしてドイツに適用してもうまく機能しないという文脈で)「アングロサクソンが成長段階から例えば45歳とすると日本人は、国史の長さからすればはるかに古いが、まだまだ教育を受ける段階にあり近代文明という尺度からすれば、私たちの45歳に対して12歳の少年のようなものであるだろう。」と説明した。12歳と述べたことを朝日新聞が報道し日本国内にあったマッカーサーの絶大な人気を急落させた。
一方で朝日新聞は社説で、育む父親としてのマッカーサーの温情主義に感謝している。「日本国民が敗戦という未だかつてない事態に直面し、 虚脱状態に陥っていた時、われわれに民主主義、平和主義のよさを教え、日本国民をこの明るい道へ親切に導いてくれたのはマ元帥であった。子供の成長を喜ぶように、昨日までの敵であった日本国民が、一歩一歩民主主義への道を踏みしめていく姿を喜び、これを激励し続けてくれたのもマ元帥であった。」( 1951年4月12日朝刊)
また上下院の合同会議での退任演説で日本について「戦後日本国民は、近代史に記録された中では最も大きな改革を体験してきました。見事な意志と熱心な学習意欲そして驚くべき理解力によって、日 本人は、戦後の焼け跡の中から立ち上がって、個人の自由と人間の尊厳の優位性に献身する殿堂を日本に打ち立てました。そして、その後の過程で、政治道徳、 経済活動の自由、社会正義の推進を誓う、真に国民を代表する政府が作られました。…日本ほど穏 やかで秩序正しく、勤勉な国を知りません。また、人類の進歩に対して将来、積極的に貢献することがこれほど大きく期待できる国もほかに知りません。」と述べた。
マッカーサーは戦争の撲滅(平和主義)を主張しており憲法9条につながっている。「私は、いま生きている誰よりも、戦争については知っています。私にとっては、これほど嫌悪すべきものは、ほかにありません。私は長年にわたり、戦 争の完全な撲滅を訴えてきました。敵も味方も破壊するがゆえに、戦争は国際紛争の解決手段としては無用なものになってしまったからです。」そういいながらも、「戦争の目的はまさに勝利であり、中途半端な状態を長引かせることではありません。戦争では、勝利に代わるものはありません。宥和政策は新たな、さ らに血なまぐさい戦争を招くだけだということを、歴史ははっきりと強調して教えているからです。脅迫と同様、宥和政策は、より大きい新たな要求を次々に招く原因となり、最 終的には、脅迫と同じように、暴力が唯一の取りうる選択肢となってしまいます。」と言う。北朝鮮のことである。
マッカーサーはシーザーのような人だった(ラフォレット)。独創的なひらめきがある一方、部下の言うことを聞かず失敗もありフィリピンで部下だったアイゼンハワーに見限られている。GHQでは、ワシントンの統合参謀本部から送付された極めて改革的な初期指令に依拠して決定を下していた。マッカーサ―自身は、ウィスコンシンの大地を切り開いた開拓者の血が流れている経済的不正や特権の濫用を心からきらう古典的保守の人で、強い意志を持って与えられた責務を完遂する軍人であった。