5. ユソニアンハウスの解説


ユソニアンハウスとは

 ライトのFalling Water(落水荘1936)以後の 後期の住宅は、前期のプレーリー住宅(草原住宅)と区別してユソニアン住宅と総称されますが、その中でも特に、ライトは新しい手法によって造った一般的 家族のための手ごろな価格のコンパクトで魅力に満ちた小住宅郡をユソニアンハウスと名づけています。19361943年にLusk邸(1936)で計画され、Jacobs邸(1937)で初めて実現し、58あまり建築されました。

 それぞれの家は敷地の性質と施主の要求にあわせて設計されましたが、共通のディテールと工法、次ページに述べる特徴が繰り返し用いられていて、それはもっと予 算をかけた特別な住宅にも共通しています。ライトはこれをGrammar(文法)と呼びました。
 ユソニアンハウスは革新的な工法であったため、多くの家は、ライトの3年目以上の弟子がタリアセン(アリゾナとウィスコンシンにあるライトの工房)か ら派遣され現場に常駐して施主の直営方式として建てられるか、またはユソニアンハウスの建築に慣れたハロルド・ターナーらのマスタービルダーにより建てられました。
 箱型の慣習的な住宅の工法にとらわれず自由に造られたこれらの住宅は、建てられてから半世紀以上の時間を経た現在もなお魅力に満ちています。ユソニアンハウスは、いまだに一般には実現していない未来に属する究極の住宅と言えるでしょう。








スタンダード・ディテール・シート、 1940
  共通のディテールと工法Grammar(文法)が繰り返し用いられました。


The Natural House 「ライトの住宅」 抜粋 Frank Lloyd Wright

   
手ごろな価格の家をつくるということは、アメリカにとっていちばん大きな建築問題であると同時に、それに直接たずさわる主要な建築家にとっても困難な課題であった。
 私にとっては、今考えつくことのできる他のどんな建物よりも、私自身、いやアメリカのためになんとかして解決させたいものであった。この時代のさまざまな便利な発明・工夫の知恵を享受するためには、多くの単純化が必要である。省略できるものとはなんだろうか?

1.目に見える屋根は高価であり、どうしても必要なものではない。
2.ガレージはもはや不要であり、十分な屋根と二面の壁を持つカーポートでこと足りる。
3.ボイラーと燃料のためを除いて、地下室は不要である。
  地上に砂利を敷き、4インチのコンクリートを打った床暖房のマットの上に家を建てる方がはるかによい。
4.室内の額縁、見切り縁などは不要である。
5.暖房用放熱器および照明器具は不要である。照明は配線をそのまま生かして、天井面および下方を照ら
   す間接照明とし、その他床におくスタンドのためのコンセントがあればよい。
6.家具や絵画や飾り物などは不要である。
7.塗装は不要である。透明の樹脂オイルを塗るだけで十分である。コンクリートの床マットにはワックスを塗る。
8.左官の仕事は不要である。
9.雨樋は一切不要である。


ユソニアンコミュニティー

          ゲイルズバーグ・カントリー・ホームズ  
          ミシガン州ゲイルズバーグ 1947年

製薬会社Upjohn Company で働く若い科学者たちは、共同組合で自分たち自身で建てることが出来る手頃な価格の家のコミュニティーの計画をライトに依頼した。それぞれの家は1エーカーの円形敷地に配置されている。 3棟がライトの設計で実現した。 
図面出典Frank Lloyd Wrights Usonian Houses




        ユーソニア・ホームズ   
        ニューヨーク州プレザンドビル  1947年
タリアセンの弟子(アプレンティス) デビット・ヘンケンの呼びかけでできた協同組合による地域計画。 当初の計画は55個の1エーカーの円形敷地だったが、課税査定局を満足させるため多角形に変更された。3棟がライトの設計,40棟がライトの弟子の設計で実現した。
図面出典 the Frank Lloyd Wright companion



























                                                     最初のユソニアンハウス Jacobs House 1937



































            パークウィン・ビレッジ 
            ミシガン州カラマズ 1947年
ゲールズバーグのメンバーの内数人はカラマズ郊外に新たな計画を企画し、4棟がライトの設計で実現した。
図面出典 the Frank Lloyd Wright companion 




「誰も、彼を信じていなく、彼が信じているものを信じていなく、彼が何をすることができるかを知りながらこの信頼によっては彼を選ばなかった人のために建物を建てることはできない。 私が考えるに、それが建築家とクライアントの性質である。」 例外なくほとんどの建築で、ライトと彼のクライアントの間の関係はこの性質のものでした。
 これは、彼の人生の最後の30 年の間に、機会が生じた時はいつでもどこでも、ライトと彼のクライアントがBroadacre City を築いていたことを意味しています。